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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(行ツ)135号 判決 1980年2月14日

京都市東山区大和大路下ル四丁目本池田町五三一

上告人

横山幸子

大阪府枚方市樟葉花園町五-二-六〇二

上告人

佐野隆雄

右両名訴訟代理人弁護士

前堀政幸

前堀克彦

京都市東山区馬町通大路西入る新し町

被上告人

東山税務署長

塩治正美

同上京区新町通一条西入る

上被告人

上京税務署長

橋本房利

右両名指定代理人

小林孝雄

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五三年(行コ)第三〇号贈与税課税決定処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五四年七月一二日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人前堀克彦の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解を前提として原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本山亨 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 戸田弘 裁判官 中村治朗)

(昭和五四年(行ツ)第一三五号 上告人 横山幸子 外一名)

上告代理人前堀政幸、同前堀克彦の上告理由

上告状記載の上告理由

原判決には事実の認定につき証拠たる文書に表示された意思表示の解釈について経験則及び最高裁判所判例に違背し囚て判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があると言うべきである。

上告理由書記載の上告理由

原判決には、以下に述べるとおり贈与及び贈与の目的物に関する法令の解釈・適用の誤、並に最高裁判所の判例に違反する意思表示の解釈の誤があり、それらの誤の故に贈与税賦課の基準となる基礎的事実である贈与の日時、並に贈与物の価額につき事実を誤認し因て被上告人らが上告人らに対してした贈与税並に加算税賦課の違法を看過した違法が認められ、その違法が判決に影響を及ぼすことが明かであるから原判決を破棄し、更に相当の裁判がなさるべきである。

一、争点について

本件訴の趣意及び請求原因として上告人らが主張するところは、第一審判決並に原判決が摘示するとおりであるから、茲にこれを援用するが、これが要点をくり返し且若干の補足をすると次のとおりである。

(一) 被上告人東山税務署長は上告人横山幸子が昭和四七年一〇月六日、その父吉川幸太郎から、京都市北区上賀茂桜井町二二番地宅地五二・四〇平方メートル(以下では本件宅地という)の持分二分の一の贈与を受けたとして昭和四九年八月八日付で同上告人に対し贈与税二、七五六万一、八〇〇円及び無申告加算税二七五万六、一〇〇円を賦課する旨決定し、これに対する同上告人の異議申立にもとづき、同年一二月一一日、右原処分の一部を取り消し右贈与税額を六四五万四、四〇〇円に、右無申告加算税額を六四万五、四〇〇円と変更する旨の決定をなし

(二) 被上告人上京税務署長は上告人佐野隆雄が昭和四七年一〇月六日、その父佐野現二から本件土地の持分二分の一の贈与を受けたとして昭和四九年一二月二〇日付で同上告人に対し贈与税六四五万四、四〇〇円及び無申告加算税六四万五、四〇〇円(夫々の税額は前示上告人横山幸子に対する夫々の更正税額と同額である)を賦課する旨の決定をなした。

(三) しかし上告人横山幸子(以下では上告人横山という)がその父吉川幸太郎(以下では訴外幸太郎という)から、また上告人佐野隆雄(以下では上告人佐野という)がその父佐野現二(以下では訴外現二という)から、それぞれ右各決定に言う宅地(本件宅地)の持分二分の一づつの贈与を受けた日は昭和四七年七月一〇日ではなく、おそくとも昭和四三年秋頃までの日時である。したがって本件土地の当時の価額は一、三六九万四、〇〇〇円位でありその各二分の一は六八七万七、〇〇〇円位である。

(四) ところで本件宅地はもともと上賀茂土地区画整理組合(以下では訴外組合という)が、その施行する土地区画整理事業にかかる保留地(以下では本件保留地という)として売出し、昭和四二年九月四日訴外幸太郎と訴外現二とが共同してそれぞれの持分を二分の一と定めて落札して買受け、その後同訴外人らは相談の上それぞれの持分二分の一をそれぞれ上告人らに贈与することを思い立ち(同訴外人らが落札買受当時既に上告人らに贈与する目的であったとの第一審での上告人らの主張は誤であることは既に弁論の全趣旨によって明かにしている)。昭和四三年秋頃までに念書(甲第一号証)を作成して贈与を実行完了したのである。

(1) そこで(三)で述べた贈与の日時と本件宅地がもともと保留地であることとを併せ考えると上告人らが訴外人らから贈与せられたものは、本権宅地の所有権そのものではなくその法的性質が土地区画整理法の諸規定並に関連法令によって定められておる保留地という特殊の法的存在に絡まる特殊の権利、即ち換地処分の公告の日の翌日に至って初めて本件保留地につき所有権を取得するに至る訴外組合に対し、保留地を落札して買受けた訴外人からそれの贈与を受けておる上告人らが、その日以後において保留地を訴外組合所有の宅地として訴外組合名義に保存登記を経た上その所有権を上告人らに移転登記手続をすることを請求する権利なのである。それは法令が定めた特殊の債権とみるべきであろうが財産権であることに相違なく、したがって贈与の対象となることに疑の余地はない。

(2) それ故本件保留地は前述の所有権移転登記を経るまでは訴外組合の管理にかかるものであり、換地処分の公告の日以前には何びともその土地(の所有権)を取得しえないのである。

(イ) したがって前同訴外人らは本件保留地を落札して買受けたとは言え(保留地の売出し、競売、落札、買受けなどという用語は保留地に関する法理を正確に表現するには適当でない。それは例えば宝くじの売出しというが如き俗語にしかすぎない)保留地の土地所有権を取得していたわけではない。

(ロ) ところが同訴外人らは本件保留地を落札して買受けたとき訴外組合から本件保留地に該当する土地の引渡しを受けこれを占有使用し又は収益することができた。

しかしこのことは同訴外人らが本件保留地の土地所有権を取得したからではなく、本件保留地の管理者(所有者ではない)たる訴外組合が保留地の競売、落札、落札金の支払など一連の競売手続の効果として入札に対し予め提示していた落札者との間に成立する契約の内容たる給付であるからである。(このような給付と前述の換地処分の公告の日以後に訴外組合が履行すべき所有権移転登記手続などの給付と併さって保留地買受者が受くべき契約上の給付となるのである。)

したがって前同訴外人らが本件保留地について落札によって取得した権利なるものが契約上の債権たる特殊の権利であり、土地所有権でないことは明かである。

(ハ) 叙上の法理は、争いある本件贈与の日のいづれの日よりも後日である昭和五三年に至って施行された昭和五三年法規第九号、・政令第七五号により新設された地方税法第七三条の二第一二項、同法施行令第三六条の二の四の規定が、保留地予定地の取得を目的とする契約が締結されたときはその契約に基いて右土地について使用し、又は収益することができることとなった日において右土地の取得がなされたものとみなし、不動産取得税を課することとし、また同法第三四条第六項が固定資産税の賦課について保留地予定地の使用者をもって所有者とみなす旨規定するに至ったことに照らして明白である。(右諸規定に言う保留地予定地と土地区画整理法第九六条に言う保留地とはどのようにちがうのか。法律用語の不統一であると理解する。)

何故ならいわゆる「みなし規定」は法理の行きづまりを「事実の擬制」によって切り抜けるための作り事であって真実でもないし、真実を証明することによってそれを斥けることができるわけのものでもないからである。

しかし、それ故に却ってこの「みなし規定」はこれを他に類推適用すべきではないこととなるのである。

(五) ところが第一審判決は、上告人らが前示訴外人らからそれぞれ本件宅地の持分二分の一づつの贈与を受けるのは、本件宅地につき受贈者である上告人らに対する所有権移転登記が可能となった時期においてであり、右贈与は右所有権移転登記が可能となることを停止条件とするものであると解するのが相当であるところ、本件土地については換地処分の公告がなされた日の翌日である昭和四七年六月二三日以降において前示停止条件が成就したのであって、同日以後の日に贈与により本件宅地の持分二分の一づつの所有権が上告人らに移転したものであるというべきであるし、原判決も亦右第一審判決の判断を是認し、もって両判決ともに本件宅地を目的物とする贈与が行われた日が右所有権移転登記の日に当る昭和四七年一〇月六日であると認定し当時の本件宅地の価額にもとづいてした被上告人らの前示贈与税等の賦課決定に違法はないと判示しておるのである。

(六) しかし上告人らは第一審判決をも含めた原判決が、原判示贈与(以下では本件贈与という)は本件宅地について上告人らへの所有権移転登記が可能となる時期に至って初めて成立する停止条件付贈与であると判断しておることが、贈与当事者の意志表示の解釈の誤殊に最高裁判所判例に違反して文書(甲第一号証の念書)に顕われた贈与当事者の意思表示を解釈した誤並に前示保留地の法的性質殊に保留地の落札買受者の権利に関する法令の解釈・適用の誤に因って贈与税賦課決定の基礎事実となる贈与の日時と贈与の目的物を誤認し、延いて被上告人らがした贈与税の賦課決定の違法を看過してもって法令の適用を誤っておると信ずるので、このことを以下に上告理由として愬えんとするのである。

二、証拠上も当事者間でも、争いのない事実が意味するものについて。

(一) 本件において証拠上も当事者間でも、争いのない重要な事実として次の諸事実を指摘することができる。

(1) 訴外幸太郎と訴外現二とは共同して昭和四三年九月四日訴外組合から本件宅地に相当する本件保留地を、一、三六九万四、〇〇〇円で買受け各訴外人が右額の二分の一づつを出捐し各自の持分を二分の一と定めた。

(2) 但し本件保留地については法制上何びとの所有権登記も許されずしたがって同訴外人らが本件保留地を買受けたことによって得た何らかの権利を対世的に公示して法の保護を受ける手段は全く欠けていた。

(3) しかし訴外組合は当時本件保留地である土地を同訴外人らに引渡し同訴外人らがこれを使用収益することができることになった。

(4) ところが昭和四四年八月頃迄本件保留地は雑草の生えるまま放置せられていたが、同訴外人らはその頃他人に乞われるままに同訴外人らが貸主となって同月頃から昭和四七年迄右土地を材料置場として他人に賃貸し、その賃料収入を自己らの不動産所得として確定申告し、またその後右土地にアスファルト舗装を施してガレージと成し昭和四九年三月他会社に賃貸し、因て得た賃料を前回同様不動産所得の収入として確定申告しておる。

(5) その間の昭和四七年六月二二日に換地処分の公告がなされ、その翌日の同年六月二三日には本件保留地について宅地としての表示登記がなされ、同年七月一四日には訴外組合を取得者とする保存登記がなされた。

(6) 次いで上告人らは同年一〇月六日受付で右宅地即ち本件宅地につき訴外組合からの所有権移転登記を経たが、右登記手続に際し同訴外人らは昭和四七年九月二六日訴外組合に対し本件保留地の買受人の権利を上告人らに譲渡する承認を求める趣旨の承認申請をなし訴外組合が翌二七日に承認をした趣旨の文書が存在する。

(二) そして以上の事実のうち(3)ないし(6)の事実は原判決が第一審判決とともに、本件贈与が本件宅地の原判示の趣旨の停止条件付贈与であるとの事実を認定する論拠となっているものである。

すなわち原判決(以下では原判決が引用した第一審判決理由を含む)はそれらの事実を情況証拠とすることによって、訴外組合から引渡を受けた本件所有地をその後管理支配し、使用収益したのは贈与者である前示訴外人らであり、受贈者である上告人らはそのことを知らずまたそのことに無関心であったと認定することができるとなし、一般に不動産が贈与されたと認めるには単に贈与の意思表示があっただけでは足らず当該不動産についての管理支配及び所有権移転登記を経由するのが通常であるところ、右各事実に鑑み、上告人らが初めは本件保留地、後には本件宅地を管理支配していたと認めることができないし、他方いつでもできるはずの訴外組合に対する同訴外人らから上告人らへの本件保留地買受者の権利譲渡の承認申請が換地処分公告後三ケ月を経過して漸く行われるまで同訴外人らが上告人らに対し本件保留地の権利を移転する意思を表示したとは認めがたいとしておるのである。

(三) しかし叙上の「争いない事実」が果して原判決が理解するとおりの意味(証明力)を有するものであるとするのは誤りである。

(1) そして右の誤は、原判決が本件保留地の落札買受者である訴外人らから取得する権利(以下では保留地買受者が取得する権利という)が如何なる権利であるかを言い切っていないところから生じておるのである。

(イ) すなわち原判決は、本件保留地の売却処分の法律的性格について言及し、「処分の法的性格をどのように解するかは兎も角として、その対象となるのは現実的には将来所有権に昇華すべき保留地の使用収益権というべきである」(原判決書六枚目表三行目以下一一行まで参照)「そして組合規約等に制約がない限りさらにこれを譲渡することも可能である」(前同表一一行目以下同裏一行目まで参照)と判示しておるだけで右の保留地買受者が取得する権利が上告人らの主張のとおりの債権的請求権であるとは言い切っていないのである。

(ロ) しかし「その対象となるのは現実的には将来所有権に昇華すべき保留地の使用収益権というべきである」との表現はまことに妙を得た比喩的表現ではあるが、そのような使用収益権は保留地買受者が取得する権利に内在する一機能にすぎないのであって、この権利の本態ではない。この権利の本態は保留地買受者が取得する権利が将来昇華して買受者にとっての土地所有権となるに必要な一切の処理の履行を土地区画整理組合に請求することができる契約上の債権である。

(ハ) そして保留地の買受者が土地区画整理組合から引渡を受ける保留地の土地を使用収益するか否かは保留地の買受者の自由に属し右権利の本態を成すものではない。

(ニ) したがって保留地買受者が取得する権利が前述のとおりの債権的請求権であって、保留地の土地に対する物権的権利でないことを端的に認めようとしない原判決は本件保留地買受者である訴外人らが取得した権利の法的性格を未だ十分には正解してないと言うべきである。

(2) ところが訴外人ら(以下では訴外幸太郎、同現二を併せ指すものとする)が本件保留地買受者として取得した権利は正に前述したとおりの債権的請求権であるから、このことを正解するならば、先に述べた「争いのない事実」が意味するところにもとづいて、原判決が本件贈与が原判示のとおり停止条件付贈与でありその条件成就により本件贈与がなされた日時、したがって贈与税賦課の基準日が原判示のとおりであるとした事実認定が誤であることは明らかとなるのである。

(3) そこで叙上の法理にもとづいて本件保留地についての法律関係について言えば、訴外人らが訴外組合から得た権利は本件保留地の競売及び落札という私的契約に因る債権的請求権であり、この債権の譲渡を禁示する法令、訴外組合の規約、契約上の特約などは存在しないのであるから、訴外人らが取得した本件保留地に関する権利を訴外人らが上告人らに贈与するには当事者双方の意思表示の合致をもって足り、引渡その他何らかの外形的手続を必要としないのであるから、そのような合意が成立した時に贈与が成立し、その時が贈与の時であってその後の保留地の現実の支配管理の如何によって右贈与の成立を否定することはできない。

(イ) そして右贈与は債権の譲渡によってなされるのであるから、これが効力を訴外組合に及ぼすためには債権者である訴外人らから債務者である訴外組合に対し債権譲渡のことを通知する必要があるが、こと通知は債権譲渡の成立要件でも有効要件でもなく、訴外組合に対する対抗要件にすぎないこと、したがって訴外人らが訴外組合にその債権譲渡の承認を申請するとか、訴外組合が訴外人らに対しその債権譲渡を承認するとかいう法律関係は成立しないことも法理上明かである。

(ロ) いわんやかかる債権譲渡による権利贈与の事実を対世的に公示する必要もなければそのための法制も存在しないのであるから、訴外人らと上告人らとの間で右贈与のことについて特別の公示方法を考えたり、特別の公示手続をしなかったのは当然であるが、後述するとおり訴外人ら及び上告人ら並にその他の者が甲第一号証の念書を作成して権利贈与の成立と贈与事実の相互確認を明かにしておるのはまことに事宜を得たものであったのである。

(ハ) それ故訴外人らがその取得しておる本件保留地買受者の権利を上告人らに対し譲渡して贈与するについては、訴外組合に対しその贈与の日がいつであるとしてもその贈与の日を明かにして債権譲渡の通知をしなかったとか、本件保留地の引渡がなされなかったとかの事実を詮索してその贈与即ち債権譲渡の事実を否定したり、その効力を否定したりすることができないことも亦法理上明かである。

何故なら訴外組合に対する本件贈与である債権譲渡の通知は、訴外組合に対し債権譲渡の効力を対抗せしめるためにのみ必要であるにすぎず、その必要が生じたときにこれをすれば足るのであり、訴外人らが上告人らに対する債権譲渡の効力を訴外組合に対抗せしめるため債権譲渡の通知をする必要は上告人らが訴外組合に対し本件保留地が保留地でなくなる日即ち換地処分の公告の日の翌日以後のいつの日かに本件宅地につき上告人らへの所有権移転登記手続を請せんとする時の日に生ずるにすぎないのであり、このように本件贈与について債権譲渡を通知する必要が生ずる日と本件贈与である債権譲渡の日とが同じ日でなければならないとする法理は成り立たないからである。

したがって訴外人らが訴外組合に対し本件保留地買受者として取得しておる権利(債権的請求権)を上告人らに譲渡した事実にもとづき昭和四七年九月二六日に権利譲渡の承認を申請し翌二七日に訴外組合がこれが承認をしておる事実から、本件贈与がそれ以前のいつの日かにそのような手続とは関係なくされておる事実を否定する論拠とはならないのである。

(ニ) また本件贈与は既述のとおり本件保留地に関する債権的請求権を贈与の目的物とし当事者の意思表示の合致によって成立するのであって、既に訴外人らが訴外組合から引渡を受けておる本件保留地の現実の引渡並に保持を成立要件とけるものではない。

したがって原判示のとおり訴外人らが上告人らに無断で長期に亘りその名をもって本件保留地を他人に賃貸しその賃料を自己らの取得収入として確定申告しておる事実が認められるからと言って、この事実によってこの事実の存続中は訴外人らが本件保留地に関する権利を上告人らに贈与していた事実を否定できるとするのは早計である。

何故なら保留地の法律的性格及び保留地に関して生ずる諸多の法律関係に通暁しない庶民たる訴外人らにとっては、訴外組合から引渡を受けた保留地である土地(当然未登記である)についての管理又は使用収益について如何なる手続をとるべきかをたやする理解することはできないから、訴外人らが本件保留地を自己らの名をもって賃貸し、その賃料収入について所得の確定申告をした事実が認められたと言っても、それだけで訴外人らが本件保留地について取得しておる権利の贈与を取消す意思を表示したものであるのか、或は引渡された本件保留地についての法律上あるべき管理又は使用収益の方法を贈与者たる訴外人らが誤ったのであるか将又訴外人らが「保留地の権利」贈与後上告人らのため上告人らに代って保留地の管理をする間に故意に土地の賃料収入の取得を思い立ったのであるのか、それとも原判決の判示するように訴外人らは当初から本件贈与については原判決の言う本件保留地について取得した権利が将来土地所有権に昇華して本件宅地について上告人らのため所有権移転登記を経由するときまで贈与の成立を停止するものであったのかをたやすく断定することはできないのであり、それを決定するには何よりも後述するとおり訴外人らが上告人に対して本件保留地に関してした贈与の意思表示そのものの時における法律的意味を正確に解釈しなければならないからである。(現に訴外人吉川幸太郎が第一審証人として証言するとおり、訴外人らが本件保留地を自己らの名で使用収益していたのは訴外人らが上告人らのために本件保留地を管理するにあたり使用収益の方法を誤ったものであり、訴外人らが助言を求めた税理士の助言が不相当であったためその誤を正す機会を失っていたものと認められるのである。)

(4) 以上述べて来たところは、法律上は本件保留地が単に保留地である間は保留地たる土地そのものの贈与という法律関係が成立する余地がないこと、本件贈与が換地処分公告の日の翌日以前になされておる事実が認められるときは贈与の目的物は本件所有地買受者である訴外人らが取得した権利即ち本件保留地に関する債権的請求権にほかならないと解すべきことなど、保留地に関する法令の解釈・適用を明かにするとともに、かかる法令の解釈・適用の下では、上述の証拠上又は当事者間に「争いのない事実」を総合してみてもこれによって本件贈与がなされた日が換地処分公告の日の翌日以前の日ではないことを認めることはできないこと、本件贈与が行われた日は贈与当事者の意思表示に即して決定せらるるべきであることを明かにしたものである。

(5) しかし、本件贈与の当事者である訴外人ら及び上告人らが叙上の法令の解釈・適用について正確かつ十分なる法律知識を有していたと認むべき証拠はない。

却って訴外人らは俗説的に言われている保留地の競売・落札による売買を、保留地である土地そのものの所有権の得喪を意味する売買ではあるが、訴外組合の土地区画整理事業が完了するまでは買受者の所有権取得についてその登記を経ることができない。しかしそれまでの間にでもその土地を他人(本件では上告人ら)に譲渡することができ、他人に譲渡したときには、登記ができるようになってからでよいからそのことを訴外組合に申出でれば訴外組合がそれを承認して、直接譲受人であるその他人がその土地の所有権を取得するよう登記手続をしてくれるものと理解していたと認められる(第一審証人としての訴外幸太郎、同現二の各証言による。)それ故に訴外人らが上告人らに対してもそれ以上の法律知識について説明してはいないと推認されるのである。

そして訴外人ら及び上告人らのこのような法律知峰の不十分さこそは本件贈与の当事者である訴外人らと上告人らとの間で本件贈与についてなされた意思表示の解釈上留意すべきことである。

三、甲第一号証の念書(その写を末尾に添付)が意味するものについて

(一) 原判決が是認し引用しておる第一審判決は「甲第一号証の念書の作成が完了した昭和四三年秋頃においては、吉川ら(註・訴外人ら)と原告ら(註・上告人ら)との間に本件土地についての贈与の合意が成立していたことは否定しえないところであり、かつ右当時以後において右当事者間で本件土地贈与に関する意思表示がなされたと認むべき証拠はない」との事実を認定し判示している(第一審判決書一六枚目裏八行目以下一七枚目表一行目参照)。

(1) そしてこの限りにおいて原判決(及び第一審判決・以下でも同じ)の事実認定に誤はない。

(2) そして右事実認定の証拠として、原判決が原判示甲第一号証の念書が重要な意味をもつものであるとしておることは右判決の文言並にその文脈によって明かである。

(3) ところが原判決が是認する第一審判決は前示引用の判決文言につづき「しかし、かかる贈与の合意の時期とその対象たる財産についての権利の現実の移転の時期とは常に必ずしも一致するものとはいえず、その移転の時期はその合意の意思内容によって左右されうるものである」と判示し、先に「二、証拠上も当事者間でも争いのない事実が意味するものについて」の(一)の項の(3)ないし(6)において挙げた事実(以下では「本件において争いのない事実」ともいう)を論拠として右判示に言う「合意の意思内容」として右判示の権利の「移転の時期」には「換地処分の公告のなされた日の翌日である昭和四七年六月二三日以降」とする停止条件が附されておるものと認められる旨判示しておるのである。

(4) しかし前示二項の(三)において詳述したとおり、「本件において争いのない事実」を論拠として本件贈与の(成立の)時期を原判決判示の停止条件成就の時期であると認めるのは正当でないのみならず、原判決が言うとおり「合意の意思内容」を甲第一号証の念書の内容に即して究明するならば右判示の権利の「移転の時期」について右判示の停止条件が附されていたとの事実を認めることはできないのである。

そして原判決がそのような事実を認めたのは、本件贈与の当事者である訴外人らと上告人らとの間で成立した合意の内容を成す訴外人ら及び上告人らの意思表示殊に甲第一号証の念書に顕われておる意思表示の解釈を誤り、文書に顕われた意思表思の解釈に関し最高裁判所が判示しておる採証法則の判例にも違反しておるのである。

(5) 仍てこの念書を成立させている各署名者即ち贈与者と表示されている訴外人ら、被贈与者と表示されている上告人ら、利害関係人と表示されているその他の者らがこの念書作成当時、換言せばこの念書に署名捺印した時点においてこの念書をもって表示した「意思の内容」の究明こそが最も重要なことなのである。

そこで以下では末尾添付の甲第一号証の写を援用しつつこの念書について検討する。

因に甲第一号証の念書末尾の署名者について言えば次のとおりである。

(イ) 贈与者(甲)佐野現二とあるのは上告人佐野隆雄の父、

(ロ) 被贈与者(丙)佐野隆雄とあるのは佐野現二の子である上告人、

(ハ) 利害関係人佐野倶子とあるのは佐野現二の妻、

(ニ) 利害関係人佐野多一郎とあるのは佐野現二の子、

(ホ) 贈与者(乙)吉川幸太郎とあるのは上告人横山幸子の父、

(ヘ) 被贈与者(丁)吉川幸子とあるのは吉川幸太郎の子である上告人横山幸子、

(ト) 利害関係人吉川キヨとあるのは吉川幸太郎の妻、

(チ) 利害関係人吉川幸一郎とあるのは吉川幸太郎の子。

(二) 甲第一号証の念書(以下では単に念書という)が、本件保留地(原判決の言う将来土地所有権に昇華する権利)に関して成立しているものであることは原判決及び第一審判決がそれぞれ認定しておるところである。

(1) そしてこの念書作成の目的、その成立の経過・経緯は(原判示停止条件に関する判示部分を除き)概ね第一審判決が認定し判示するとおりである(第一審判決書一五枚目表一行目以下一六枚目裏四行目――判決理由中二の(2)の項参照)。

(2) ところでこの念書は、その作成日附を昭和四二年九月一八日に記載されているに拘らず、その実昭和四三年秋頃までにその作成が完了せられたものであることは原判決が第一審証人吉川幸太郎、同佐野現二の証言、原告本人佐野隆雄の訊問結果などの証拠によって認定しているとおりである。

(3) そこで何故この念書の作成日附として真実に即して正確な日(厳格に言えば各署名者毎にその署名の日、少なくとも証拠上最終の署名者であることが明かになっておる上告人佐野隆雄が署名した昭和四三年秋頃の日)が記載されなか記載されなかったのかが問わるべきである。

ところがこの点については、念書作成について発意しその作成について主導的役割を果しておることが証拠上明かである第一審証人吉川幸太郎、及び本件保留地を訴外人らから上告人らに贈与するについてはどのような手順を践めばよいかについて訴外組合の係員から教示を受けたことが証拠上明かである第一審証人佐野現二の証言により、訴外幸太郎及び同現二はかねて親類つき合いをしておる間柄であるところから昭和四二年九月四日に本件保留地を共同で買受けたが、その後同訴外人らは両人の親類つき合いを子の世代にも及ぼしたいと思い、その希望表明の一端として、本件保留地の持分各二分の一を訴外幸太郎は上告人横山に、訴外現二は上告人佐野に夫夫生前に財産を相続人に分与する意味で贈与し、上告人らが本件保留地の共有を継続するよう仕向けることとしたが、それには訴外組合係員の示唆により理解したとおり当事者間で贈与証書を作って贈与の事実を明かにしてこうと思い立ったが、保留地についての所有権登記は換地その他の区画整理完了後でなければできないことを知っていた訴外人らはそのことの実行として法律に晦いながらもそれ相当の智恵を絞ってこの念書を作成したのであるが、念書作成の際には、訴外人らが本件保留地を落札して買受ける当初から前述のような思いをもっていたものの如く訴外人らの心情を体裁良くみせかけるため、念書作成の日を落札買受の売買契約書(乙七号証参照)の日附の日である昭和四二年九月一八日に遡らせて記載したことが認められるのである。

(い) したがって、この念書本文冒頭部分四行に亘り「今般京都市左京区下鴨半木町地内上賀茂土地区画整理組合保留地第一号(ブロック第七五号)地積五五三平方米(一六七坪)を佐野現二(以下甲という)ならびに吉川幸太郎(以下乙という)両名の共同名儀に於いて買得した」と記載されておる行文中冒頭の「今般」とあるのは、この念書の詐われた作成日附である「昭和四二年九月一八日」という日附に対応しては相当であるけれど真の作成日である昭和四三年秋頃に鑑みれば偽りであって、正しくは、例えば「先に」とか「昭和四二年九月四日」とか記載して初めて真実の事実を記載しておることになることは明かである。

(ろ) そしてまたこの念書本文の五行目から七行目に亘り「然し乍ら予め本件物件の取得に際して甲は佐野隆雄(以下丙という)に、又乙は吉川幸子(以下丁という)に対し自らの財産分与を目的として入手したものであり」と記載されている行文中「然し乍ら予め本物件の取得に際し」とあるのはこの念書作成の偽わられた日附、または真実の日附のいづれに対応させて考えても真実ではなく、先に認定したとおり訴外人らがその心情を体裁良くとりつくらった偽りの文言であることが明かである。

(は) したがってこの念書本文中右記載文言につづき七行目から八行目に亘り「通常の場合直ちに丙及び丁の名儀として登記すべきものの」と記載されている行文中「直ちに」とあるのは、これまた前述のとおり体裁をつくろった偽りから当然生来した偽りの文言であることが明らかである。

(に) それ故この念書本文の一三行目から一四行目に亘り「従って現在は一応甲・乙共同名儀にて買得し」と記載されている行文中「従って現在は一応」とあるのもまた体裁をつくろった偽りであって、この念書本文冒頭四行の間の記載を前述のように真実のとおり正しく記載しなかったことから当然生来した偽りから出た偽りであることは明かであり、右冒頭部分の記載がもともと真正なことであったならば茲でのこの記載文言は全く無用のものであったことも亦明かである。

(三) しかしこの念書の記載内容は、叙上の「体裁を良くみせかけるための偽り」にもかかわらず、それ自体の文脈に照らし完結性と明確性を保っておるのであり、また叙上の偽りを正したときでもその完結性と明確性に欠くるところを生来するものではないのである。

そこでこの念書本文を叙上の偽りを正しながら読み下せば次のことが理解されるのである。

(1) 訴外現二(文書上甲といわれている)及び訴外幸太郎(文書上乙といわれている)とが以前から本件保留地を共同で訴外組合から買得していたこと。

(2) ところで念書上贈与者(甲)と表示されている訴外佐野現二と念書上贈与者(乙)と表示されておる訴外吉川幸太郎とは共同で買得しておる本件保留地を念書上被贈与者(丙)と表示されておる上告人佐野隆雄と念書上被贈与者(丁)と表示されておる上告人横山幸子(念書作成当時は未婚で吉川姓)との両名にいま本件保留地を贈与し、そのことについて後日紛議を生じないようにしたこと。

(3) それで本件保留地について被贈与者である上告人らが共同所有者であることを直ちに登記して明確にしておきたいのであるが、本件保留地は現在も未だ土地区画整理事業を施行しておる訴外組合の所有に属し今後訴外組合の換地その他の区画整理事業が完了するまでは、本件保留地について訴外人らの名儀にだけでなく訴外人らから贈与を受けた上告人ら譲受人の名儀にも所有権移転登記ができないのである。しかし登記のことは登記ができる時が来たら直ちに被贈与者である上告人ら両名の所有名儀に登記手続をすること。

(4) そこで本件保留地の贈与者である訴外人らとしては、被贈与者である上告人らに対しては本件保留地は贈与によって上告人らの所有となった土地ではあるけれども登記のことはその登記ができるようになる時まで待ってもらいたい、また訴外人らが両名の夫々の相続権者として本件保留地が真実上告人らに贈与されたものか否かについて利害関係を有する念書に記載の利害関係人に対しては以上のこと、即ち本件保留地はそれについての登記は未だできていないけれども、上告人らが訴外人らから贈与を受けて所有者となっておることを確認しこのような財産贈与に異存がないことを承認し、その証としてこの念書に署名してもらいたい旨の意思表示をなし、被贈与者である上告人ら並に念書に署名の利害関係人らは夫々相互に右贈与者である訴外人らの意思表示に応諾合意する旨の意思表示をなし、よって各自が夫々(時と所を異にしておるとは言え)署名捺印したこと。

以上のことが認められるのである。

(5) しかしこの念書の文言の中には登記ができるようになるまで「贈与しない」とか「贈与することができない」という趣旨に理解すべき文言は全く見当らないのである。

却って「本登記の出来うる時点が到来したるとき直ちに……登記するものであることを茲に明記する」と記載されておるのであって、いま登記ができるのであればいますぐ本件保留地が上告人らの所有であることを登記したいけれども、いまそれができないので、いまは登記はできないけれども、本件保留地はこれを訴外人らが上告人らに贈与して上告人らの所有になっているものであるから、このことを贈与当事者並に利害関係者の間で確認し合い、未だ登記がなされていないからと言って上告人が本件保留地の所有者であることについて紛識を起さないようにしようという意味とその意味での合意が溢れ出ているのである。

(イ) それというのも念書の署名者らは法律に精通しているわけではなく、唯訴外人らは実業人としての社会的経験から土地の譲渡や譲受といえば不動産登記のことを思い、登記がなければ権利の移転ないし取得を第三者に対抗させることができない位のことを知っておるにすぎないのであり、保留地のような特別の土地に関する法律知識はこれを有しないが(それは当然である。何故なら保留地の法律的性格に関する法律知識は現に本件で問題になっておるのであるから)、保留地は一般の土地とは異なり法律上換地処分の告知の日の翌日以前には所有権移転の登記ができないということを「換地その他土地区画整理事業完了までは登記できない」という程度に理解していたにすぎないため、登記のことが気になり、何とかして上告人らに本件保留地を贈与したことを明かにするとともに、保留地については法則上未だ上告人らの所有名儀に登記することができないので後日未登記の間において上告人らと遺産相続人らとの間でその贈与事実の存否について粉識を生ずることがないようにと慮り、せめて贈与当事者及び遺産相続上の利害関係人の間で登記に代り本件保留地の贈与に因る所有権が上告人らにあることを証明できる方法としてこの念書の作成を思い立ち、それをしたことがこの念書の文脈の中に顕著に現われているからである。

(ロ) そしてこの事実はこの念書の署名者らがこの念書の文言に託して表示した意思表示を眼光紙背に達するの知性をもって洞察すればまことに明かなところであり、第一審証人吉川幸太郎の証言するところも亦これと一致するのである。

(ハ) それにしても訴外人らはよくもこれだけの知恵を出したものであり、この念書こそは訴外人と上告人らとの間で本件保留地を贈与する合意の意思表示を文書化し、併せてその贈与による本件保留地所有権の移転を当事者及び利害関係人の間で確認する意思表示の合意をも文書化したものであると認められる。

(6) かくてこの念書には二つの意味があることが分るのである。

(イ) その一つはこの念書には本件保留地を訴外人らが上告人らに贈与するとする直截な文言は顕われておらず、わづかに訴外人らの資格として「贈与者」との文言記載があり、また上告人らの資格として「被贈与者」との文言記載があるだけであるけれどもこの念書に顕われたこれらの資格表示と全文々脈とを併せ考えると本件保留地の贈与にこの念書作成の時に「書面による贈与」として成立しておる事実が認められる(昭和五三年(オ)第八三一号事件についての昭和五三年一一月三〇日最高裁判所第一小法廷判決・判例集三三巻八号一六〇一頁以下参照)。

そして原判決の事実認定も亦これと異るものではない。

(ロ) その二はこの念書により、この念書成立の時に贈与の意思表示による本件保留地の「権利の移転」がなされたことがこの念書において本件贈与の当事者並に利害関係人の間で相互に確認されておる事実が認められるのである。

(ハ) しかるに原判決は右認定事実と相容れない事実即ち本件保留地の贈与については原判示のとおりの停止条件が附せられていて原判示の権利の「移転の時期」が換地処分公告の日の翌日まで停止されていたとの事実を認定しておるのである。

(ニ) しかし、この念書の意味するところは右は述べたとおりであるから、原判決がこの念書によって正当にも本件保留地の贈与がなされた時期は昭和四三年秋頃であるとの事実を認めながら、本権贈与による権利の「移転の時期」は原判示停止条件成就の日である換地処分公告の日の翌日であるとの事実を認定しておるのは、この念書の文言に顕われた贈与の当事者の意思の解釈を誤り、その意思に反するかまたはこれを無視したものであり、原判決自らその矛盾を示しておるのである。

何故ならこの念書は前述のとおり登記を経ることはできないけれども本件保留地の所有権は念書作成の日に上告人らに移転して上告人らの所有に属しておることを当事者のみでなく利害関係人もまた確認することを意味しておることが認められ、それと異る意味を認むべき何らの意思表示も含まれていないことが明かであるからである。

(7) ところで最高裁判所の判例によれば公正証書とか金銭領収証或は書状などの証書の意味を、別意に解すべき特段の事情が認められないのに、その書証の文面に顕われた意思表示に即して理解できる意味のとおりに解釈しないのは書証の評価を誤り、経験則に違反するものであるとせられているのであり(昭和四三年(オ)第八九三号事件についての昭和五四年一一月二六日最高裁判所第一小法廷判決、昭和四三年(オ)第九三八号事件についての昭和四五年一一月二六日最高裁判所第一小法廷判決参照)、書証の評価は書証の文言に顕われた意思表示の解釈によって定まるのである。

そこでこれをこの念書についてみるに、この念書が意味するところには前述のとおり二つの意味があり、かつそれに尽き、「それ以外の」または「それと異る」意味に解釈すべき文理上の論拠は何もないのである。

それ故原判決が本件保留地の贈与には原判示の停止条件が附されていたとの事実を認定しておるのは書証であるこの念書に顕われている贈与当事者の意思に反しており、したがって前示判例に違反しておるのである。

(イ) もっとも原判決はこの念書につき上告人ら主張の前述の意味と異る意味に解釈して本件贈与には原判示の停止条件が附せられていると理解すべき特段の事情が存するとする論拠として先に二の項で論及した「本件で争いのない事実」を挙げておるのである。

それ故「本件において争いのない事実」を論拠に前述したこの念書が意味するところを斥けることは書証の評価を誤り経験則に反するのである。

(8) ところでこの念書が意味するところは、前述のとおり二つの意味をもつとする解釈が正当であることは言うまでもない。しかしこの解釈には保留地の法律的性格に関する法律知識が十分でなかったこの念書の署名者らがこの念書に顕わした意思表示に潜んでいる誤を誤のまま生かして解釈しておるのであり(このような解釈が意思表示の解釈として正当であることは言うまでもないであろう)、それ故それらの意思表示の解釈によってえられたこの念書の意味する事実に法律を適用するにはこの誤を是正してかからねばならないのである。

以下項を改めてこのことについて論述する。

四、甲第一号証念書が意味するものの中の錯誤について

(一) 昭和四三年秋頃に作成された甲第一号証の念書の成立によって本件保留地の書面による贈与が成立しておる事実は原判決もこれを肯認しておるのである。

ところがこの念書によって本件保留地の贈与が成立した昭和四三年秋頃には、訴外組合の土地区画整理事業についての換地処分の公告はなされていないから、この念書によって成立した贈与の対象は、原判決の用語を借りて言えば本件保留地についての将来土地所有権に昇華すべき権利が内包する権利の全体即ち上告人らの言う将来換地処分公告の日の翌日に至れば訴外組合が訴外人らに対し本件保留地の所有権を移転すべき義務(給付)を内容とする契約上の債権的請求権である。

しかるに原判決がこのような債権的請求権を単に「現実には将来所有権に昇華すべき保留地の使用収益権」に過ぎないものとしておるのは法令の解釈を誤っておるのである。

(二) そこで右贈与の対象が土地所有権ではなく、債権的請求権であることは明かである。そして原判決といえども訴外組合がする保留地の売却処分の対象が土地所有権であるとは言わずに、「現実には将来所有権に昇華すべき保留地の使用収益権」というあいまいな言い方をしておるのは保留地の売却処分の対象がやはり債権であることを是認しておるものと言えるのである。

したがって、かかる債権を贈与するのには単に当事者間の意思表示の合意があれば足るのであって、何も土地所有権についての所有権移転登記などを考える必要はないのである。

(三) ところが法律知識が十分でなかった前示念書の署名者ら、殊に念書作成の主導者である訴外幸太郎は保留地を落札して買受けたのを保留地である土地を買取ったものと誤解し、延いては本件贈与の対象が土地そのものであると誤解し、因て法制上贈与と同時に保留地の所有権移転登記をすることができないことを気にした結果利害関係人らを含めた前示念書を作成するに至っておることが分るのである。

(四) それ故前示念書の意味が既述のとおり二つの意味を有つとは言えその意味については更にその署名者らに前述の錯誤があったことを認め、法令の適用上その錯誤にかかわらず右念書の意味が法令上効力を有するか否か、右錯誤を正すとき右念書の意味を如何に理解すべきかを明かにしておかねばならないのである。

(1) ところで意思表示の当事者が法律的意義をもたせる目的でした意思表示については、たとえその意思表示が法令の誤解にもとづくものであっても、却ってその誤解から表意者の真意を理解することができる場合があるのであって、このような場合にもその意思表示を法律上効力を有するよう解釈すべきが意思表示解釈の原則である。

そこで、このような観点からみれば前示念書に顕われた署名者らの意思表示の真意は次の二つであると理解せらるべきである。すなわち

(イ) 先づ第一には贈与者である訴外人らは訴外人ら両名が共同で落札して買得した本件保留地について訴外人らが取得した権利の二分の一づつを、それが土地の所有権であろうがそうでなかろうが、被贈与者である上告人ら両名に贈与することをこの念書をもって明かにすること、

(ロ) 第二には、訴外人らの遺産相続人としてこの贈与について利害関係を有する利害関係人らは、この贈与の事実並に現在本件保留地について被贈与者をその土地の所有者とする登記がなされていない事実及びその理由を知らされ、そのことを知った上でこの贈与の事実を確認すること、

の二つである。

(2) そしてこの念書の文言を解釈してその意味を右のとおり理解することはこの念書の末尾にある「尚この意志及びび目的を当事者夫々が認知、異存なく、又利害関係者も之を承認した為後日念の為左記に連署捺印するものである」とある結びの文言のもとに署名捺印した表意者らの真意に合致こそすれ、それから逸脱するものではない。

(3) そしてこの念書の署名者の意思の内容からは右のような意思表示の解釈を正当とする論拠以外に、本件贈与が原判決判示の停止条件にかからしめられておると解すべき論拠となるようなものは何も見出されないのである。

五、結論として

(一) 以上述べ来ったところにより明かなとおり、原判決が本件贈与が原判示停止条件を附されて成立しておるとの事実を認定しておるのは、事実を誤認しておるのである。

そして原判決がそのように事実を誤認しておるのは、保留地の法律的性格、殊に訴外組合の保留地売却処分の対象、従って本件贈与の対象となっておる財産の法律的性格の理解について法令の解釈を誤っておるのみでなく、その誤に因って最高裁判所の前示判例に違反するのを省みずに甲第一号証の念書に顕われた本件贈与の当事者の意思の内容を誤解し意思表示の解釈を誤ったが故である。

(1) すなわち原判決は、保留地売却処分の対象は単に将来所有権に昇華する保留地の使用収益権に過ぎないと捉えてこれを恰も前示最高裁判所判例に言う「別異に解すべき特段の事情」に当るとして甲第一号証念書の意味するところが上告人らの主張するとおりであるべきことを否定するに足る論拠としておるのであるが、以上詳述し来ったところにより明かなとおりそれらのことに前述の誤が認められるのである。

(2) 殊に茲で特に指摘しておくべきことは、原判示は前述のとおり保留地売却処分の対象が将来所有権に昇華する保留地の使用収益権であるとの法令解釈のもとに、その使用収益権を贈与者である訴外人らが受贈者である上告人らに無断で換地処分公告の日以後約三ケ月目まで長期に亘り使用収益していた事実を重視し、この事実と甲第一号証の念書に記載の登記に関する説明文言とを併せ考えると本件贈与には原判示停止条件が附されていたと解すべきであるとしておることである。

(3) しかし保留地売却処分の対象、したがって本件贈与の対象は原判示の使用収益権に止るものでないことは明白であって贈与者である訴外人らが贈与後本件保留地を使用収益していたからと言って上告人らが贈与を受けた本件保留地に関するより広汎な権力を内包する債権的請求権に原判示の停止条件が附されていたとするのは法令の解釈・適用を誤って意思表示の解釈を誤るに至っておるのである。

(イ) 何故なら本件贈与は贈与当事者である訴外人らと上告人らとの間の甲第一号証の念書の作成によって合意されて成立しており、このような書面による贈与は贈与者たる訴外人らがその贈与の対象たる財産全部又は一部を受贈者たる上告人らに無断で使用収益したことによっても取消されたことになるよけのものではなく、したがって既に無条件で成立しておる贈与を後日になって停止条件附のものに変更する意味を有つものでもなく強いて言えば贈与者が故意又は過失によって受贈者の財産を不正に使用収益しておると言えるに止るからであり

(ロ) また既に完結性と明確性を有する文書として本件贈与を成立させておる第一号証の念書に顕われた本件保留地の登記に関する文言自体には行文の文脈上登記を経るまで贈与の成立又は効力を云々する趣旨に解すべき何ものをも見出しえないことは既に述べたとおりであり、このことは右念書を読めば誰にも分ることであるから、念書に記載されておる「今直ぐ登記しておきたいが法制上それができないので登記は将来のこととするほかない」とする趣旨に理解すべき文言に、前述の無断使用収益の事実を特段の事情としてくっつけてみても、右念書の文意を「登記ができるようになる時期が到来するまで本件贈与の効力を停止する」趣旨のものであると解するのは、右念書に顕われた文意即ち署名者らの意思表示の意味を曲解するものであることは明かであるからである。

(二) かくして原判決には叙上の法令の解釈・適用の誤りがあり、その誤の結果、本件贈与につき贈与税を賦課すべき基準年次を定める基礎となる贈与の日時が昭和四三年秋頃であるのを昭和四七年一〇月六日であると認定して因て被上告人らが右贈与日を基準に贈与の目的物の価格を算定して上告人らに対してなした贈与税等の賦課決定処分が違法でないとしておるのであって、原判決の右の誤が判決に影響を及ぼすことは明かである。

六、補遺

上告理由の陳述を終らんとするにあたり、上述の「三の(三)の(5)の(ハ)」の項の終(二〇丁裏三行目)の次は論及すべきを遺脱した主張を茲に補うことにする。

(1) 甲第一号証の念書の署名者らが保留地の法律的性格に精通していないところから本件保留地を通常の土地と誤解し、法制上保留地については登記することができず、それ故土地所有権の第三者への対抗力を欠くと考えていたことは先に述べたとおりである。

(2) しかしそれらの署名者殊に訴外人ら両名が登記ができない間は保留地を上告人らに贈与することができないと考えていたと認むべき証拠はないのである。却って

(イ) それらの者がもしそのように考えていたとすれば、訴外人らは何も原判示の停止条件を附してでも急いで念書を作成して贈与を成立させてみたところで何の役にも立たないのであるから、そのようにする必要を思い立たなかったと推認するのが合理的である。何故なら

(ロ) 訴外人らはいつ登記ができるか分らない本件保留地をそのままにしておいて、その間に万一にも事業上の失敗などからこの土地を債権者などに取られるようなことになっては困ると思って未登記のままでも早く上告人らに贈与したかったのであることが認められる(第一審証人吉川幸太郎の証言参照)からである。

(3) そうだとすると現在において贈与することが目的である訴外人らが登記ができるようになるまで贈与の効力を停止しておくなどということを思い立って、原判示のような停止条件を附することを考えたと推認し・理解することほど不合理なことはないのである。

(4) したがってこのことからも原判決が本件贈与には原判示の停止条件が附せられていたとの事実を認定しておるのは経験則に反し訴外人らの意思表示の解釈を誤っておるのである。

七、仍て原判決を破棄し更に相当の裁判を求める。

以上

(添付書類省略)

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